History 2

関東学生OB同友会結成

関東学生OB同友会結成の経緯とあゆみ

少林寺拳法関東学生OB会連合会の設立から7年を迎えようとしていた、平成元年(1989)3月、OB会連合会第2代会長であった日野和喜(東京農業大学OB)は役員会の中で、草創期を共にしてきた連合会役員に対し、「このOB会連合会も軌道に乗り、ある程度安定してきたので、今後は若い世代に任せ、新しい発想をもって、会を運営してもらったらどうや。そのために、我々は勇退してはどうかのー」と話された。そこで、OB会連合会を勇退した役員を中心に、新たに、大学OB会の代表としてではなく、OB個人同士が集まれる会を作ろうという提案があり、この提案には全役員が賛同した。  さらに、「これからは、金は出しても口は出さない。金が出せなければ汗をかいて学生拳法とOB会連合会、さらには少林寺拳法の発展に我々は貢献していこうやないか。金を出すのも汗をかくのもどちらも同じで大事な支援だ」と話された。そこで、会の名前はどうしようという話になったが、新井田義弘(国士舘大学OB)より、「経済同友会もあることだし、関東学生OB同友会でいいんじゃないの」との一言で会の名前が決まった。また、役員全員が今後も学校間を超えて、仲良しクラブで、いつまでも絆を深めあっていこうと、新たなる決意をして、さっそくOB同友会設立の準備に入った。
 そして、OB会連合会会長であった日野和喜は、第3代会長として木村眞一を推薦し、その後の連合会総会で決議がなされ、会長職と会の運営を引き継ぐことになった。草創期の役員と共にOB会連合会を勇退した日野和喜は、平成元年(1989)5月30日、正式に「少林寺拳法関東学生OB同友会」を設立、初代会長に就任した。また同時に、OB会連合会の事務局長も、磯谷孝夫から飯塚幸雄(上智大学OB 現第5代OB会連合会会長)に引き継がれている。

 

 結成時のOB同友会会員は、日野和喜・岡田孝毅・井上浩志・斉藤方秀・平尾茂樹・高村正彦・吉川聖一・新井田義弘・滝田清臣・吉田信行・石井敬一・都筑美好・加藤正克・新井英晴・鵜野哲自・長坂敏史・山本洋三・佐藤錬という草創期の各氏、そして事務局の磯谷孝夫、OB会連合会会長〈兼任〉の木村眞一の20名であった。当時は、少人数ということで、皆が役員という肩書であり、全員集まるのも不定期で、年3~4回程度、ほとんどが親睦の飲み会であった。しかし、当初より個人から会費も集め、会長の日野和喜を中心に学生大会や各校周年行事に、OB同友会として出席してきた。
 その後、5年が経過し、外部からは、「ど~~ゆう会?」などと言われ、OB会連合会との区別がわからない方もいたが、大学OB会の集合体であるOB会連合会に対し、あくまで個人の集まりである学生OB会(入会条件はあるが…)であるということが、だんだん理解されるようになり、OB同友会も少しずつ対外的に認められるようになり、行事等の参加も次第に多くなってきた。そのため、平成6年(1994)からは、しっかりと記録も残すようにし、改めて組織的な会として活動することになった。その後、平成8年(1996)10月29日、会長である日野和喜の突然のご逝去により、第2代会長に吉田信行(明治大学OB)が就任、以降、第3代会長に岡田孝毅(慶應義塾大学OB)、第4代会長に新井田義弘(国士舘大学OB)、第5代会長に都筑美好(東海大学OB)、第6代会長に木村眞一(東京大学OB)と引き継がれ、現在は第7代会長として後藤和雄(千葉工業大学OB)が任に当たっている。また、事務局長は創立当初より30年にわたり磯谷孝夫(獨協大学OB)が務めていたが、平成30年12月より第2代・管省吾(成蹊大学OB)に、令和3年10月より第3代・上野和博(成城大学OB)に引き継がれている。なお監事は、平成9年2月より税理士である山本洋三(明治大学OB)が務めていたが、令和3年9月、在任中にご逝去された。令和2年10月からは監事2名制に移行したことで、飯塚幸雄(上智大学OB)が監事に加わり、令和4年1月からは殿原正夫(東京大学OB)も新任の監事となった。近年では、OB会連合会役員を勇退したOBを中心に毎年入会者が増え、会員数は2022年(令和4年)1月時点で58名を数えている。
〔文中敬称略〕

 

高村正彦OBの国務大臣就任を同友会で祝う(1994年7月)

※今後、各年ごとの出来事を記載した年史を掲載予定です。